「ワークス! どこにいるの、ワークス!」
広大な王宮の中で、一際大きな声が響いていた。のどかな昼下がり、大方の仕事も終わり、奥の休憩室でのんびりお茶を飲んでいた女中たちは、しかしそんな声にも動じる様子はなかった。この時間、よく耳にする声だからだ。
「ワークス、ねえどこなの!?」
ここは、地域で絶大な勢力を誇るプルトリナ王国の首都プルトリナ。市街地の中央にそびえる巨大な王宮、プルミナ宮である。
今から約三百年前、現在の第二プルトリナ朝の始祖ユ・プルミナ・プルトリナがクーデターにより国王の座を奪取した。以後特に大きな戦乱もなく安定して国を統治していた。現在のユ・アスティナ・プルトリナが第十二代の女王である。代々女性が治めてきたこの国は、その勢力を着実に伸ばしつづけ、今では大陸の西側諸国の宗主国として周辺各国の上位に立っている。
さて、現プルトリナ女王のアスティナには一人娘がいた。それが、先程から大声を上げている少女である。
名前を、ミナ――ユ・ミアルティナ・プルトリナという。(ちなみに、この国では本名より愛称で呼び合うのが普通である。)歳は十五歳。世間一般では成人として扱われる年齢である。しかし、ミナはまだ子どもの感じが抜けていない。体は成長しているのに、心はまるで幼児のように見られる。それがアスティナの悩みの種であった。十三代目国王となるべき身分にあるにもかかわらず、まるで成長の様子を見せないのだ。
――このままでは、ご先祖様に申し訳が立たない。
この言葉が最近、アスティナの口から度々漏れるようになった。それは周りの侍女なども同じく思っていることである。やがてはミナが国王を世襲することになる。これは紛れもない事実である。しかし未来の女王がこのような状態でよいのだろうか。母親ならずとも少なからず不安を覚えるのだ。
「ワークス! ねえ、どこなのよ!」
ミナが捜しているワークスとは、プルトリナ国将軍グリンダム・アルムの息子で法術部隊長をしているワイグリス・アルムのことである。弱冠十才にして国軍に入隊し、その優れた才能から高度な魔法を操る法術部隊に大抜擢された。現在十九歳である。
ミナは方向を全く定めずに、あっちこっちと駆けて行ってはワークスの名を呼んでいる。時々ドアノブを回し、鍵が開いていれば中を覗くなどしている。本人がドアに鍵を掛けて隠れている、などとは想像もしてないのだ。傍から見れば、それはまったく非能率的で、本当に捜す気があるのかと疑ってしまう行動だった。
やがて彼女は室内にはいないと判断し、屋外へ出ていった。遠ざかる声を聞きながら、休憩室の女中たちは小さくため息を突いた。
一人が手に持っていたカップをテーブルに置いて言った。
「ワークス様。何も隠れなくてもよろしいじゃありませんか」
彼女らの視線の先には、食器棚にもたれかかっている若者――ワークスがいた。法術部隊の制服である藍色の法衣を身にまとっている。背が高く体格もよい上に美顔で、城内だけでなく国内すべての女性に人気があった。
だが、そんな彼にも苦手がある。それは、先刻から彼を捜している、あのミナであった。
「また無茶な願いを言われるだけなんだ。今日だけは勘弁してもらいたい」
「どうして今日だけですの?」
一番若い女中が、興味深そうに質問してくる。ワークスは答えに詰まった。
「まさか、デートなんですか!?」
すかさず別の女中が尋ねる。――彼女は『ワークスファンクラブ』に属しているほどの熱狂的なファンである。
「そうじゃない。あ……その、むしろ用事があるのはプリンセスなんだけど」
「ほんとうですか?」
ファンにしては疑り深い。しかし、その追及の手を逃れる言葉が、古参の女中の口から出た。
「確かに、夕刻からシャアム公国のプリンス、センチュリア・アンデルット様をお迎えするという大事な御用がございますわ。あなたがた、まさか午前中にしていた仕事が何のためか知らなかったのではないでしょうね」
「も、もちろん、知ってますよ……」
鋭い古参の女中の視線に、言い繕いを試みた女中もシュンとなる。逆らうことは即ち、きつい仕事を言いつけられることにつながるのを、何年もの付き合いのなかで学んでいるためだ。
「さあ、無駄話はお終いですよ。プリンスご到着まで間がないのですから、最後の仕上げを大急ぎでしてしまうんですよ」
はあい、という残念そうな声とともに、女中たちはお茶の道具を片づけはじめた。
古参の女中は、ワークスのそばによると小さな声で言った。
「あなたも午後の作業にお戻りなさい。プリンセスならもう小一時間もすれば、あなたとの約束もお忘れになるわ」
「……知っていたんですか」
「城内の全ての情報がわたくしの耳に入りますのよ。では」
一礼をして、彼女は若い女中らを休憩室から追い出していった。
――やれやれ、まいったな。
誰もいなくなった部屋で一人、ワークスは息をついた。ミナのこともそうだが、あの古参の女中にも頭が上がらない。
それにしても……。はたして、プリンセスは約束を忘れるのだろうか。
ワークスの心配は再び元へ戻っていく。そしてそれは、不幸にも的中してしまうのだった。
☆ ☆
――夕刻間近。
ミナはようやくワークスを捜すことをやめた。実に四時間も城内を捜していたことになる。
約束を破るなんて……。ワークス、許さないんだから。
などと考えるミナには、ワークスが既に法術研究室に戻って、滞りなく仕事を済ませてしまったとは、知る由もない。
腹立たしさを覚えつつ自室に戻る彼女の前に、不意に女性が立ちはだかった。
「プリンセス、どこに行ってらしたのですか!?」
努めて笑顔を作り上げようとしているが、声に激しい怒りが含まれている。彼女は、ミナ専属の“秘書”、エリース(本名、エルイディス・ポルテス)である。
「センチュリア様の到着まで間がありませんよ! お召し物をそろえて、プリンスをお迎えしなければならないのに――」
「ワークスがいないのよ。どこを捜してもいないの。それどころじゃないわ」
「それどころじゃないって……!
わが国が発展するための大事なお客様なのですよ。ワークスに構っている場合ではないでしょう!」
「ワークスがいなかったの!
約束してたのよ、今日は絶対だっていってたのに!」
お互い、怒りの余りに会話の論点がかみ合っていない。いや、少なくともエリースはまともな主張をしているようだが、ミナには届いていないようだ。
「プリンセス、とにかく急いでお召し物を着替えましょう。それから、簡単にご挨拶の練習も……」
「それどころじゃないって言ってるでしょ!
約束を破るなんて……、絶対許さないんだから」
「プリンセス!」
エリースのとめる言葉も虚しく、ミナは自室のドアへ消えていった。
――冗談じゃないわよ、女王陛下に怒られるのは私なんだからね!
ミナの教育係の兼ねているエリースだが、女王アスティナの期待の大きさ故によく怒られることがあった。それはエリースとしてはよくわかっている。とはいえ、怒られるのはやっぱり嫌だ。
エリースはミナの部屋のドアをノックした。こうなったら、無理にでも着替えさせるしかない。
しかし、中からの返答はない。もう一度、ノックする。返答はない。
「プリンセス、入りますよ」
声をかけても応答がない。エリースは入ろうとノブを回した。
……開かない。
何度か回しても、押しても、引いても開かない(押して開けるドアなのだが)。
「プリンセス、どうなさっているのですか。開けてください」
全く返答がない。この部屋には鍵がない。プリンセスの身の安全のため、鍵が掛からないように取り外されているのだ。だから、ドアが開かないはずがない。プリンセスが中から押さえているに違いないのだ。
「お願いです、開けてください。もう時間がないのですよ!」
体重をかけてドアを押すが、びくともしない。エリースはさすがに焦りはじめた。私の力は少なくともプリンセスより上だ。なのに開かないなんて……、プリンセスの身に何かあったのでは……!
「プリンセス、開けてくださあい!!」
☆ ☆
その本人は、部屋のなかで無事にいた。いや、未だに怒りが収まらないのであれば、無事とは言いにくいかもしれないが。
ミナは長椅子に横になって、ワークスの悪口を言いつづけていた。
「ワークスの、嘘つき。いつだってそうだもの、自分の都合が悪くなると逃げるんだから。出来もしない約束なんてしなければいいのに、いつも大風呂敷で……」
ドアの向こうからエリースの悲壮な声が聞こえている。しかしミナには届いていないようで、天井の様子を睨み付けていた。
陽は沈みかけて、南窓の部屋には柔らかなオレンジ色の光が斜めに差し込んでいる。ミナは、今朝食事中に母から言われた言葉を思い出した。
さっきからエリースがうるさいのは、そのせいだものね……。そう思った瞬間、ミナは不意に起き上がった。
「シャアム公国のプリンス……か。ん……と、そっか。面白い、使えるな」
右の人指し指を鼻筋に当て、なにやらじっと考えていたミナは、クスクス笑いながら衣装部屋へ続くドアに向かった。何を思いついたのか、それはいまこの時点では誰にもわからない。
暖かな薄い朱色でひざ下のフレアスカートの普段着を脱ぎ捨て、公式行事用の豪華なドレスを取り出す。それに着替え、髪をすき、簡単に化粧をし、アクセサリーを身につけた。そして、ミナはエリースがいまだに叫びつづけているドアの、内側からだけかけられる鍵を開けた。
☆ ☆
「ねえ、後ろのホックに手が届かないの。手伝ってくれる?」
散々声を上げても応答の無かったドアが突然開き、問題のお姫様が現われたと思いきや、本人は何事もなかったように話している。エリースは、涙でぼろぼろになった顔を拭くことも忘れて、小悪魔的なミナの顔を眺めている。
「んー……。ねえってば、早くしないと対面式に遅れちゃうよ、エリース」
「……え、あ、はい。……、……はい、これでいいですよ」
「ありがとう、エリース」
にっこりと、輝くような笑顔を見せて、ミナは小走りに去っていった。何事もなかったかのように。
後に残されたエリースは、ただ、立ち尽くすしかなかった。